冷泉家の書

12月9日
東京都美術館
冷泉家 王朝の和歌守展

大変なボリュームで疲れてしまった
書の書き様を間じかに見たいと思って出かけたのだったが
認識を改めた
所謂書道の教科書に良く出てくる物だが 本来は書道のため
もしくはお手本として書かれたのではなく 和歌や物語や記録を
残すために書かれたものである事
書き振りが良いとか悪いとか癖がどうのかうのは二義的だ
これらの膨大な書き物は どんどんスラスラ書き進められたので
あらうし またそれはスラスラ読まれたのであったらう
ところが現代人には読めなくなってゐる!
書をやるからではなく 同じ文化を共用する者として彼等と同じ
程度に 書けずとも 読めなくては申し訳ないではないか