我が青春は続く


5月29日
銀座ライオン スターホール
慶應義塾大学竹之会創立100周年記念懇親会

160人ほどが集った実に楽しい会であった
この会でスピーチをした後「虚鈴」を吹いた
少々飲み過ぎて二次会で何を話したか良く覚えてゐないが
気分良く帰宅し 気持ちよく熟睡できた

スピーチではあまり長く喋るわけにも行かなかったので 話した
かったことをここに書いておきたい

尺八のイメージは高校時代に読んだ『大菩薩峠』の中程の「鈴慕の
巻」の記述ー虚霊は天上の音、虚空は空中の音、鈴慕にいたって
はじめて人間の音でありますーが原点である
当時身の回りには尺八もそれを吹く人も無く イメージのみが
強くインプットされたのであって 自分が尺八を吹くことなどは
思ひも及ばなかった
大学に入学して新入部員募集があって 尺八のクラブがある事を
知り スッカリ喜んで早速入会した
やがて現状も当時も尺八の世界は 先のイメージ通りでは無い事を
知るが 現状を踏まえつつも 原点のイメージ追求は止めなかった
そしてその一つの終着点がこの日に吹いた「虚鈴」である

会の活動では先輩にも同輩にも後輩にも恵まれ我が清秋を大いに
謳歌することが出来た
竹之会はまた「酒の会」とも称し 事あるごとに良く飲んだ
酒を喰らって高歌放吟した
替歌など猥雑な歌も持ち寄り創作もし競ひ合って意気高らかだった
三年下のO君の「ジャッキバリバリブーラブラ」は圧巻で あとで
レパートリーに加へさせてもらって大いに重宝した

一年上のA氏が卒業に際し後輩の我々を飲みに誘ってくれ 最後に
次は君らに頼むよと宣告された
そのせいもあって その後東京に残ったこともあり後輩の面倒を
見ることを心がけた
それは卒業後もずっと続けた
新入生歓迎会・夏の合宿・忘年会・新年会・卒業生送別会その他
機会あるごとに押しかけて行っては飲みまくり発破をかけまくった
それでも飽き足らず0B主催の夏合宿が企画され 数年に亘って
それに後輩を招待し呼び寄せたりもした
後輩には迷惑であったかもしれないが 今回その彼等が皆ニコニコ
と挨拶し声をかけてきてくれたことを考へると満更でもなかったか

お礼奉公のこと
Y君と交代で昭和50年から54年まで足掛け5年間後輩達に尺八を
教へに行った
個人的にはM・S・K・F・O君などが筆者の稽古場へ来たが
最も力を入れたのはI君で 平成10年から12年まで個人教授をし
イベント会場9ヶ所での演奏を体験させもした

竹之会の活動は我が青春そのものであるがその後形を変へて続い
てゐる
花見のパフォーマンスはドンチャン騒ぎのノウハウを確立し何度も
テレビ放映されたし今では花見の弟子達が盛んに盛りあげてゐる
阿波踊りも弟子達を引き連れて参加したのをキッカケに師匠格と
して高円寺では「顔」である

現状と展望
尺八界ではしがらみの無い一匹狼としてゲリラ的演奏発表をし
他の楽器から栄養を取り入れる事を永年心がけてゐる
中国の管楽器は30年近くやりここ数年は韓国の管楽器に取り
組んでゐる
ベトナムの笛の名手が最近尺八を習ひに来たのでこれからは
繊細優美なベトナム音楽をも取り入れて行きたいと思ふ
具体的には 韓国の横笛テグムと2尺7寸の尺八ー長管の特長を
吹きこなしどう活かすかの取り組みーそのための腕の筋肉の鍛錬
を毎日続ける
年末の韓国管弦楽演奏会と来年の虚無僧研究会での講演のため
の曲選びと練習も欠かせない
打楽器は韓国の代表的打楽器杖鼓は継続し 阿波踊りのお囃子は
拍子木の組みいれを目指す
管楽器と打楽器は色々やったので次には弦楽器だ
三味線を再来年から始める予定である
筆で字を書くことをはじめて二年になるが 尺八関係の古文書を
読み解く必要があり これからは草書や変体仮名や崩し字を
稽古していきたいと考へてゐる
一節切の再興も課題だが熱心な弟子が現れたので弾みをつけたい
韓国語の勉強は地の利もあり続けてゐるが 今年からフランス語
も再開した(ラヂオ講座)
詰将棋を解く力が衰へぬやう「詰将棋パラダイス」の毎月の解答
は続ける

こんなわけで我が青春はまだ続いてゐる