田辺一鶴さんの思ひ出

新聞報道で髯の講談師田辺一鶴さんが亡くなったことを知った
平成6年ころ 現在お江戸新宿亭となってゐる(旧名永谷ホール)
寄席のあるビルに田辺一鶴さんの事務所があり 同じビルにサラ文
の事務所もあった
一鶴さんと親しい会員を通じ 一鶴さんとサラ文の交流は頻繁で 
筆者もしばしば一鶴事務所に出入りさせてもらった
一鶴さん発案の「マンション寄席」に出演させてもらったことも
あった
当時は米不足が叫ばれてゐたので一鶴さんは「米作物語」と題する
講談の創作に没頭してゐた
そのネタ集めから 話の構成、ギャグの入れ方、演じ方の工夫、そ
して人前での稽古を 完成までそばで観察することが出来た
実に得がたい体験をさせてもらった
途中の試し語りで 筆者の提供したギャグを挿入してくれたのも
観客席での筆者の姿を確認した上でのサービスであったと思ふ
イデアマンであり努力の人であった
・偶然出くわしたファンに その人の姓名を折り込んで色紙を
 即興で書いて渡した
・スペース仙川のイベントで 誰かが「外郎売」の口上を述べたら
 すかさずそれを関西弁のイントネーションで返したと言ふ
・初めて会った頃すでにワープロの14台目を買ふとの事だった
 その新機能で「藤由越山」のメクリ用筆書き様大短冊をこしら
 へてくれた
・・
125歳まで生きるんだと言ってをられたのに 残念!